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ムラカミマコトこぼれ話

弁護士 村上誠のブログです。

2014年12月31日(水)

今年はどんな年だった?

今年は、皆さんにとって、どんな年だったでしょうか?

私にとっては、とてもいい年だったと思っています。

思いどおりに行かず、失敗し、振り回され、泣かされたり、何より、不安がらされました。

そんな中で、一年を振り返ってみると、気付かされたことが沢山あります。

中でも、何で不安に思うのだろうということです。

後から振り返ると、不安がらなくてもいいのに、不安がっていることが沢山ありました。

不安がるのは、事態が悪い方へ悪い方へ行くのではないか、と思ってしまうからです。

ですので、事態が好転すれば、その不安は消えるのですが、事態が好転することなどは、そうそうはなく、大抵は不安的中でした。

ただ、不安的中となっても、結果が分かってしまえば、それほど落ち込むことが少なかったのも事実です。

それなら、はじめから、事態がどうなれ、不安がらなければいいだけの話だ、とも思えてしまいます。

ただ、中々そのような心境にはなれません。

ぐずぐず事態が好転しないものかと、考え込み、必死に念じ、神頼みさえしてしまっています。

本来は、不安に思うのも、主観的な事態の捉え方ですので、事態の捉え方を変えれば、不安を消すことはできる筈です。

ですが、人には欲があり、この事態は絶対にこうなって欲しいという願望があります。

その願望がある以上は、不安も尽きないのかもしれません。

ただ、そのような願望の先にある、夢や希望の実現のためには、多くの挫折や失敗を経験しなければならないとすると、むしろ必要なのは、事態がどんない悪い方に行ったとしても、それを率直に受入れた上で、立直り、挑戦し続けることなのだろうな、と思います。

そして、信じるものは、挫折や失敗を繰返しても、最後には、夢や希望が叶う、ということなのだろうと思います。

人は弱いもので、つい弱気になり、不安に襲われ、立ちすくみ、諦めたがります。

ですが、弱いからこそ、人の温かみには大いに慰められます。

不安がる自分を受け入れ、弱気になっても、また立ち上がって、夢や希望へ向かって進む勇気を育みたいと思っています。

多くの方たちに助けられ、慰められて、何とか今年一年を過ごして来れましたことに感謝して、皆様が良いお年をお迎えくださるよう、心から祈念申し上げます。

Posted by murakami at 15時43分   パーマリンク

2014年12月28日(日)

承認の力

私が尊敬するメンターの1人で、「話し方の学校」副学長の 鴨頭嘉人さんのメルマガ『鴨め〜る』に、素晴らしい記事が載っていましたので、引用させていただきます。

(引用ここから)

僕は3年半前に独立してから、月曜日から土曜日 早朝から深夜まで全力で仕事してます。
 

そして、
 

週に一度の休日 日曜日はファミリーデー。
 

最近は、家族と一緒にショッピングセンターに行ってご飯を食べたり、買い物して帰るっていう過ごし方が多いんです。
 

先日、あるショッピングセンターの焼肉屋さんに行きました。
 

時間は、日曜日の13時半くらいで、いわゆる超忙しい時間が終わった直後くらいでした。
 

「すいません、大丈夫ですか?」ってドアを開けたら、
 

「大丈夫です・・」ってキツめなニュアンスの言葉…
 

大体、階段7段上くらいの上から目線で(笑)言葉をくれる…
 

サービスパーソンAさんに出会いました
 

うちは注文するとき かみさんがまとめて するんですが、
 

Aさんはそのときも すごかったんです。
 

例えば、
 

「このランチBセットで飲み物はホットコーヒーで」って言うと


言葉を途中で遮って、「飲みものは、後でまとめて聞きます。」


「…。」
 

一瞬、かみさんも絶句して…「わ、わかりました。」
 

って感じで答えました。
 

注文中も一度も 目線を合わせることもなく 何たが居心地の悪さ感じる。
 

そんな従業員の指示・命令通りにしなければ怒られるっていうオーダータイムが終わって…
 

「まぁ、せっかく ご飯食べに来たんだから… 楽しく食べよっか?」
 

僕たちは 気をとりなおして いこうと決めました。
 

でも、
 

まだまだ修行は続きます(笑)
 

食べ物が出てきたときも、持ってきたお皿がバウンドするんじゃないかっていうくらい
 

ガシャン!ガシャン!
 

って音を立てながら運んできてくれました。
 

そして、皿を置いていただき。
 

「注文は以上ですか?」といわれたので
 

「あ、はい、そのとおりです・・・」
 

という風にかろうじて答える、という感じでした。
 

「じゃぁ、食べよう!」ってなった時…
 

お箸がなかったんです。
 

かみさんが 「すみません、お箸いただけますか?」って言ったら、
 

「あ?」
 

みたいな表情でギロッって 睨まれたんです!
 

それに対して、かみさんはちょっと切れそうになりながらも堪えました…。えらいですね(笑)
 

Aさんは 無言で箸を持ってきて 置いて厨房の奥に戻られたんです。
 

かみさんはイライラの頂点に 到達していました…。
 

しかし、そんな空気を救ってくれたのは、子供たちでした。
 

「いっただきま〜す!」
 

美味しそうにお肉を食べている姿に救われて、ランチタイムを過ごすことができました。
 

そして、食べ終わって帰ることになりました。
 

子どもたちとかみさんが先に出て、僕が会計をすることに
なったんですが…
 

このときに気づいちゃったんですっ!
 

「ここは僕の出番だ。」って。
 

「いよいよ ハッピーマイレージの 価値が試されるときがきた!
 

この状態でどうやって 彼女の笑顔を引き出すかは 僕の腕にかかってる!!」
 

僕はいつになく気合いを入れて…レジに向かいました。
 

そしてレジのところに行って 何より良かったのは…
 

ちゃんとAさんが来てくれたんです。
 

さぁ! 承認タイムのスタートです!!
 

《感謝を伝えるカード》
ハッピーマイレージカードを今まで個人で2800枚くらい配ってきてる 僕の経験から言うと…
 

こういうのは、一言目が大事なんです。
 

会計で 「ありがとうございました。」と、目を見ず、オーダー表を手にしたAさんに こう切り出しました。
 

「今日…日曜日で お昼忙しかったんじゃないですか?」って。
 

ここで、Aさんは初めて顔をあげて 僕の顔を見たのです…。
 

小さな変化です。
 

「あ、あ〜、えぇ。」って返ってきたので、


間髪入れずに…「がんばったんですね〜」って伝えたます。
 

「はぁ、がんばりました〜」
 

おそらく、この声が彼女の本当の声です。
 

ここで、承認です。
 

「僕らよく家族で ご飯食べにくるんですが…
 

 いつも日曜日は、どこも混んでて 大変だなぁって思ってるんです。
 

 そんな大変な日曜日に、働いてくれる人のおかげで… 家族が楽しい時間を過ごせてるんだなって? いつも思うんです!!
 

 本当に ありがとうございます〜。」
 

そう伝えて… ハッピーマイレージのカードを出します。
 

「あなたみたいに頑張ってる人に 〜感謝の気持ちを伝えよう〜 っていうカードなので… 受け取ってください!」
 

って言ったら…
 

急に声のトーンが変わって
 

「うわー!ありがとうございます!!」
 

って言って、素敵な笑顔を見せてくれたんですっ。
 

彼女には、こんな素敵な笑顔があったんだ…。
 

ハッピーマイレージを渡した僕も驚かされるくらいの…笑顔。
 

そして、お店を出ていったら、かみさんが言ってくれました。
 

「すごいね!ハッピーマイレージ。これやっぱ 魔法のカードだね♪」
 

全く笑顔がなかったAさんも 笑顔になってくれて、
 

イライラしちゃってた かみさんも笑顔になる♪
 

その光景を見て 僕もガマンしきれず 笑顔です!
 

やっぱり、ハッピーマイレージってすごいな!
 

承認の力ってすごいな!
 

って感じて、めっちゃ嬉しかったです♪
 

承認って… 
 

素晴らしい言葉を伝えなければいけないっていうことではないって思ってます。
 

人の気持ちを汲み取るだけなんです。
 

人の気持ちに思いを馳せてみて、そのまま 口にする事なんです。
 

今回僕は、Aさんに 「忙しかったんじゃないですか?」
 

って伝えてみました。
 

でも、本当は 忙しくなかったかもしれない。
 

僕に言われる筋合いがないことかもしれない。
 

でも、
 

Aさんに想いを馳せてみた時… 僕はそう感じた。
 

だから、伝えてみた。
 

合っているか間違っているかは 考えないんです。
 

ジャッジをせずに そのままを届けるから、相手が何かを
受け取ってくれる。
 

少なくとも 「何かをわかろうとしてくれてる」
 

って伝わるみたいです。
  

会社の社員さんに 言葉をかける時も一緒です。
 

ちょっと落ちこんでる様子なら 「どうした?何かあった?」
 

頑張ってるように見えたら 「何かエネルギーあがってるね!」
 

何か変化を感じたら 「何かいつもと違うね?」
 

仮に、的外れだったとしても… 伝わってると思うんです。
 

「気にかけてくれてるんだ。」 って…♪
 

それだけで、いいじゃないですか。
 

それだけで、人はここに居ても いいんだって… 思えるものです。
 

承認空間を感じれます。
 

つまり、
 

その人の日常に 思いを馳せられさえすれば…
 

その瞬間に、承認空間が 生まれるってことなんです。
 

素晴らしい言葉なんて… いらないんです。
 

よかったらぜひ 意識してみてくださいねっ。


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(引用ここまで)

私も、承認の態度が表明できるようになりたい、と思います。

Posted by murakami at 17時48分   パーマリンク

2014年11月28日(金)

思いどおりにならなくても大丈夫

思いどおりにならないことがあると、夢や希望がもてず、不安に苛まれたり、落込むときが誰にでもあります。

そんなときは、先々のことを考えずに、今日1日だけ、今だけをやり過ごすことを考えましょう。

ここが戦場でなくても、先々のこと、明日のことは、誰にも分からないのですから。

そのうちに、思いどおりにならなくても大丈夫、と思えるときが来るのではないか、と思います。

ニューヨーク市立大学病院の壁の落書きを引用します。

大きな事を成し遂げるために
力を与えてほしいと神に求めたら
謙遜を学ぶようにと弱さを授かった。

より偉大なことができるようにと健康を求めたのに
より良きことができるようにと病弱を与えられた。

幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと貧困を授かった。

世の中の人々の賞賛を得ようとして成功を求めたのに
得意にならないようにと失敗を授かった。

人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにといのちを授かった。

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた。

神の意に添わぬ者であるにもかかわらず
心の中で言い表せないものはすべて与えられた。

私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されていたのだ。

作者は不詳ですが、ベトナム戦争で心身ともに深く傷つきながら、立ち直っていった若者が書いたそうです。

Posted by murakami at 15時47分   パーマリンク

2014年11月21日(金)

不老不死の人生

西太后など、世の中の権力や富を欲しいままにした人間が次に望むのは、不老不死と言われることがあります。

不老不死が人の欲望の究極の形なのかも知れません。

ただ、しかし、不老不死が実際に得られたとしたら、それもまた怖い話なのではないか、と思います。

夏休みの宿題ではないですが、人は、期限が来る間際までは何も手をつけない、期限が切られていないと、何もやる気が起きない怠惰な性格なのではないか、と思います。

それは生存本能から来るもので、原始の自然の中では、食べていくために必要最小限でしか体を動かさず、棲み処から外へ出る機会を極力減らして、身の安全を守る必要があったことに由来しているのだろうと思います。

そうすると、もし人が不老不死になったとしたら、食べることなどの差し当たって必要なこと以外には、何もやろうとしない、仮に何かやろうと思っても、100年先、1000年先にやればいい、と考えてしまうのではないか、と思います。

そのように考えると、人に寿命があって、期限を気にしながら生きていくというのも、人類の発展にとっては必要なことですし、本人にとっても、限られた人生の中で生命を輝かせるという意味で、必要なことなのではないか、と思わされます。

限られた人生の中で、いま命があることに感謝して、精一杯を生きたいものです。

Posted by murakami at 09時38分   パーマリンク

2014年11月10日(月)

羽生選手の演技を見て

一昨日、中国・上海で行われた、フィギュアスケート・グランプリシリーズ中国杯の男子フリーで、羽生結弦選手が本番直前の6分間練習で接触事故を起こし、怪我を負いながらも、演技を行い、総合2位になりました。

私もテレビ中継を見ていて、接触事故がかなり激しいもので、事故直後には羽生選手がリンクの上で、血をながして動けなくなっている様子を見て、解説者やコメンテーターが述べていたように、これは棄権した方がいいし、棄権すべきだと思いました。

しかし、羽生選手は、棄権せずに、演技を行った訳ですが、棄権すべきだったかどうかはともかく、羽生選手の演技を見て、私を含めて、何故みんながあんなに感動したのだろうかと、今になって思い返されます。

羽入選手が才能豊かなオリンピック金メダリストであり、普通の選手であれば棄権するような怪我を負いながら、強靭な精神力で演技を行い、立派に演じきった、ということが見ている人を感動させた要因であることは、間違いないと思いますが、私には、ただそれだけではないように思えます。

才能豊かなオリンピック金メダリストでも、多分、心が折れるときだってあり、精神力や心も、私たちと比べて格段に強靭な訳ではないことを私たちが知っているから、人は誰だってそんなに強いものでないことを私たちが知っているからこそ、羽生選手の棄権せずに頑張り続け、精一杯に演じきったことに感動したのではないか、と思えます。

私たちは、才能がなくても頑張っている人を応援したくなります。

それは、多分、人がそれほどには強くなく、弱いものだということを知っているからでしょう。

そして、人は、自分以外の誰か、あるいは利己を超えた何かのためでなくては、それほどには頑張れません。

羽生選手も、棄権せずに、頑張って精一杯に演じきれたのは、自分のためだからでなく、羽生選手の演技に期待し、会場に足を運んでくれた観客の方たちや、羽生選手を応援し続けてきた日本の支援者の方たちや、羽生選手が応援したかった地元の被災者の方たちのためだったからこそ、ではなかったかと思います。

Posted by murakami at 10時41分   パーマリンク

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