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ムラカミマコトこぼれ話

弁護士 村上誠のブログです。

2014年11月28日(金)

思いどおりにならなくても大丈夫

思いどおりにならないことがあると、夢や希望がもてず、不安に苛まれたり、落込むときが誰にでもあります。

そんなときは、先々のことを考えずに、今日1日だけ、今だけをやり過ごすことを考えましょう。

ここが戦場でなくても、先々のこと、明日のことは、誰にも分からないのですから。

そのうちに、思いどおりにならなくても大丈夫、と思えるときが来るのではないか、と思います。

ニューヨーク市立大学病院の壁の落書きを引用します。

大きな事を成し遂げるために
力を与えてほしいと神に求めたら
謙遜を学ぶようにと弱さを授かった。

より偉大なことができるようにと健康を求めたのに
より良きことができるようにと病弱を与えられた。

幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと貧困を授かった。

世の中の人々の賞賛を得ようとして成功を求めたのに
得意にならないようにと失敗を授かった。

人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにといのちを授かった。

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた。

神の意に添わぬ者であるにもかかわらず
心の中で言い表せないものはすべて与えられた。

私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されていたのだ。

作者は不詳ですが、ベトナム戦争で心身ともに深く傷つきながら、立ち直っていった若者が書いたそうです。

Posted by murakami at 15時47分   パーマリンク

2014年11月21日(金)

不老不死の人生

西太后など、世の中の権力や富を欲しいままにした人間が次に望むのは、不老不死と言われることがあります。

不老不死が人の欲望の究極の形なのかも知れません。

ただ、しかし、不老不死が実際に得られたとしたら、それもまた怖い話なのではないか、と思います。

夏休みの宿題ではないですが、人は、期限が来る間際までは何も手をつけない、期限が切られていないと、何もやる気が起きない怠惰な性格なのではないか、と思います。

それは生存本能から来るもので、原始の自然の中では、食べていくために必要最小限でしか体を動かさず、棲み処から外へ出る機会を極力減らして、身の安全を守る必要があったことに由来しているのだろうと思います。

そうすると、もし人が不老不死になったとしたら、食べることなどの差し当たって必要なこと以外には、何もやろうとしない、仮に何かやろうと思っても、100年先、1000年先にやればいい、と考えてしまうのではないか、と思います。

そのように考えると、人に寿命があって、期限を気にしながら生きていくというのも、人類の発展にとっては必要なことですし、本人にとっても、限られた人生の中で生命を輝かせるという意味で、必要なことなのではないか、と思わされます。

限られた人生の中で、いま命があることに感謝して、精一杯を生きたいものです。

Posted by murakami at 09時38分   パーマリンク

2014年11月10日(月)

羽生選手の演技を見て

一昨日、中国・上海で行われた、フィギュアスケート・グランプリシリーズ中国杯の男子フリーで、羽生結弦選手が本番直前の6分間練習で接触事故を起こし、怪我を負いながらも、演技を行い、総合2位になりました。

私もテレビ中継を見ていて、接触事故がかなり激しいもので、事故直後には羽生選手がリンクの上で、血をながして動けなくなっている様子を見て、解説者やコメンテーターが述べていたように、これは棄権した方がいいし、棄権すべきだと思いました。

しかし、羽生選手は、棄権せずに、演技を行った訳ですが、棄権すべきだったかどうかはともかく、羽生選手の演技を見て、私を含めて、何故みんながあんなに感動したのだろうかと、今になって思い返されます。

羽入選手が才能豊かなオリンピック金メダリストであり、普通の選手であれば棄権するような怪我を負いながら、強靭な精神力で演技を行い、立派に演じきった、ということが見ている人を感動させた要因であることは、間違いないと思いますが、私には、ただそれだけではないように思えます。

才能豊かなオリンピック金メダリストでも、多分、心が折れるときだってあり、精神力や心も、私たちと比べて格段に強靭な訳ではないことを私たちが知っているから、人は誰だってそんなに強いものでないことを私たちが知っているからこそ、羽生選手の棄権せずに頑張り続け、精一杯に演じきったことに感動したのではないか、と思えます。

私たちは、才能がなくても頑張っている人を応援したくなります。

それは、多分、人がそれほどには強くなく、弱いものだということを知っているからでしょう。

そして、人は、自分以外の誰か、あるいは利己を超えた何かのためでなくては、それほどには頑張れません。

羽生選手も、棄権せずに、頑張って精一杯に演じきれたのは、自分のためだからでなく、羽生選手の演技に期待し、会場に足を運んでくれた観客の方たちや、羽生選手を応援し続けてきた日本の支援者の方たちや、羽生選手が応援したかった地元の被災者の方たちのためだったからこそ、ではなかったかと思います。

Posted by murakami at 10時41分   パーマリンク

2014年10月26日(日)

誰かに語りかけたいこと

「人間の心って、自然と誰かに語りかけるようにプログラムされているらしい」と言っていた作家がいましたが、確かにその通りだなあ、と思います。

昨晩は、新宿西口の炉辺焼きの店に、家内と家内の妹と行きましたが、その店の雰囲気が良くて、思い返すと、その店にいる間中、その店の雰囲気を誰かに伝えたいと思っていたのではないかな、と思い至ります。

そのような思いが、食べログの投稿記事になったり、お店の紹介記事になったりするのでしょう。

ただ、伝えたいことは、写真に撮って見せたり、値段や味を示したり、接客態度を評価するだけに止まらないのだろうと思います。

私の場合は、その炉辺に座り、家内が注文する料理を口に運びながら、炉辺の炭火の色や温もりや、部屋の照明の懐かしい色に、ただ居心地がよくて、ボーっとできたことを伝えたかったのではなかったかな、と思います。

私は、ボーっとしながら、炉辺で焼き物をしていた、ちょっとイケメンの若い男性の仕事振りを眺めていたのですが、後で家内に聞くと、家内と家内の妹は、その男性について、見た目程には若くないのではないかとか、濡れた手を前掛けで拭くより、手拭で拭くべきではないか、ということを話していたというのですが、思いは人それぞれで、語りかけたいことも人それぞれなんだなあ、と思わされました。

Posted by murakami at 16時57分   パーマリンク

2014年10月13日(月)

日本人ノーベル賞受賞にちなんで

先日、スウェーデン王立科学アカデミーが、青色発光ダイオード(青色LED)の発明と実用化に貢献した業績により、赤碕勇さん・天野浩さん・中村修二さんにノーベル物理学賞を授与すると発表しました。

中村さんについては、青色LEDの職務発明に関連して、発明当時在籍していた日亜化学工業に対し、発明の対価の支払いを求め、一審の東京地方裁判所で、請求全額の200億円が認められながら、控訴審の東京高等裁判所で、8億4000万円余りで和解した、という報道が話題となり、記憶に鮮明に残っていました。

しかし、青色LEDの材料の構造を工夫して、明るい青色を放つことに初めて成功させたのが、赤崎さんと天野さんの功績だったことは、今回の報道で初めて知りました。

赤崎さんは、青色LEDの材料として、他の研究者から扱いが難しいとして敬遠されていた窒化ガリウムを使い、試行錯誤を繰り返し、きれいな結晶を安定的に作ることに成功し、天野さんの協力の下で、マグネシウムを加えて、世界で初めて青色LEDに欠かせない窒素ガリウムの結晶を完成したとのことでした。

その決して諦めることなく、完成するまで試行錯誤を繰り返す粘り強さには、驚かされるばかりです。

もちろん、中村さんにしても、安定して長期間発光する青色LEDの材料開発に乗り出し、素子を完成させるまでの試行錯誤や執念には、いつも怒っている(ように見える)キャラクターと相俟って、常人にはないエネルギーを感じます。

私などが到底真似できることではありませんが、成功するまで諦めないという姿勢を、少しでも見習えればと思います。

その意味では、ケンタッキーフライドチキン創業者のカーネル・サンダースが、65歳の時に始めた、フライドチキンの作り方と、秘伝のスパイスをレストランに売込み、フライドチキンが売れた分だけロイヤリティを受取るという、フランチャイズ事業について、売込みに回った先のレストランから1009回も断られながらも、その事業を成功へ導いた、というエピソードが思い起こされます。

私には、こちらの成功談の方が見習い易いとは思いますが、カーネル・サンダースにしても、1009回も同じ売込口上を述べ続けた訳ではなく、多分、断られる度に、売込方法を改良工夫し、試行錯誤しながら成功に漕ぎ着けたのだろうと思います。

その意味では、見習うといっても、諦めずに同じことを繰り返していればいい、というものではなく、そこに創意工夫の積重ねがなければ、成功を手にすることなどはできないのだろうと思わされます。

また、成功すればそこで終わりではなく、その成功を自分の人生にどのように生かすのか、自分の成長にどのように生かすのか、ということの方がより大切なのではないか、とも思います。

Posted by murakami at 17時21分   パーマリンク

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