2019年10月16日(水)
運の良し悪し
私は、今から2年前、60歳の時に、舌癌が見つかり、手術を受けましたが、幸い、舌以外のリンパ節等には転移はしておらず、現在まで再発せずに過ごせており、運が良かったと思っています。
ところで、私の父も、58歳の時に、舌癌が見つかり、手術を受けましたが、その時には、既にリンパ節に癌が転移しており、抗がん剤や放射線治療を受けたのですが、良くならず、その後にも癌が色々な臓器に転移し、結局、60歳のときに亡くなりましたが、運が悪かったと言えるかも知れません。
人はよく、因果応報というようなことを言いますが、それでは私が運よく癌が転移する前に手術を受けられたのは、私の日ごろの行いが良く、父が運悪く、癌が転移する前に手術を受けられなかったのは、父の日ごろの行いが悪かったのかと言いますと、振り返ってみても、そのようなことは全くなく、私は結構いい加減に生きてきましたし、父は生真面目に生きてきました。
そのようなことを思い返しますと、私は、運について、今では次のように考えています。
運というのは、貯めて、使うものであり、貯まった運を使う時に、運が良いといわれ、運が貯められておらず、運が使えなかった時や、運が貯められていても、運を使わなかった時に運が悪いといわれるのではないか、と。
また、使える運は、自分が貯めるほかにも、親祖先や関係する他の人達にも貯めてもらえるけれども、必ずしも、自分が貯まった運を使えるとは限らず、自分が使わなかった運は、そのまま子孫や関係する他の人達が使える運として持ち越されるのではないか、と。
そして、私は、父が使わずにとって置いてくれた運を使わせてもらって、癌が転移する前に手術を受けられ、今も生かされているのではないか、と思っています。
日本は、敗戦後、世界が驚くような奇跡的な復興を遂げたといわれますが、それも戦争で無念のうちに亡くなっていった人達や、さらにそれ以前の祖先の人達が貯めてくれた運を使わせてもらった結果ではないか、と思います。
もっと根本的には、私たちがこの世に人として生まれ、限りある身の今、ここでこうして生きて、生きている者同士が相見えていること自体が、奇跡的に幸運なことだとすれば、その幸運を引き寄せることができたのは、私たち自身のお陰などではなく、何百年、何千年と連綿と受け継がれてきた、親祖先の人達が積重ねてきた運を使わせてもらった結果だろうと思います。
だとしたら、私も、例え上手く行かなかったり、失敗したり、報われなかったりすることが続いたとしても、子孫や自分の関係する誰かが使える運を貯める努力を続け、死ぬときには、運を使い果たすのではなく、少しは自分の子孫や関係する誰かが使える運を貯めたままでいられるようにしたいと、思っています。
Posted by murakami at 16時50分
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