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ムラカミマコトこぼれ話

弁護士 村上誠のブログです。

2019年11月14日(木)

あなたなら大丈夫

ある心理カウンセラーの先生から聞いた話です。

ある夫婦には、結婚してからずっと子どもが欲しかったのに、なかなか子どもが授からなかったそうです。

3年経っても、5年経っても、10年経っても妊娠しないのです。

そして、13年目に入り、「もう自分達には子どもは授からないのかもしれない」とあきらめかけたころ、ついに妊娠したのでした。

二人は手を取り合って喜びました。


そして、月日が経って、出産の当日となり、ご主人も立ち会っての出産となりました。

奥さんは陣痛の中で頑張り、ついに赤ちゃんが生まれました。


そして、生まれた子どもを抱きかかえたご主人は、体が硬直してしまいました。

見るもかわいそうな奇形児だったのです。


「あなた、私の赤ちゃんを見せて。早く。」と、せがむ奥さんに対して、ご主人は説明の言葉が見つからないまま、抱きかかえた子どもを見せました。

すると、奥さんの顔が一瞬だけ曇ったかに見えましたが、奥さんはすぐに笑顔を取り戻して、こう言いました。

「あなた、神様は、この子をどの夫婦に預けようかと、何年も何年も何年も、世界中を探し回られたんでしょうね。

だから13年も時間を要されて、『この夫婦ならば大丈夫』と私たちを信頼して下さって、この子をあずけて下さったんでしょうね。

大切に育てましょうね。」と

そう言って、奥さんはニコッと微笑んだのだそうです。


この心理カウンセラーの先生の下には、いろいろな人が相談に来られるそうです。

「先生、どうして私には、あんな夫なんでしょう?」
「先生、どうしてあんな親不孝者が、うちの子なんでしょう?」
「先生、どうして僕には、あんな妻なんでしょう?」


すると、その先生は、「それはね、神様が、何年も何年も何年も、世界中を探し回ってね、

あなたならば大丈夫と、・・・」と説明するのだそうです。

Posted by murakami at 18時48分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

2019年11月01日(金)

首里城の焼失

首里城が焼失しましたが、大変ショックな出来事でした。

私も何度か訪れたことがあるものの、正直に言えば、私にとっては、それ程関心があったり、印象に残るものではありませんでした。

ですが、いざ焼失してみると、首里城の歴史的な価値や重み、30年にわたる再建修復の労苦、首里城に対する沖縄の人達の想い入れを思い知らされることとなりました。

首里城焼失の原因や影響、その意味や再建に向けた方策などは、もう少し後になって議論されることになるのでしょうが、今はただただ残念に思うだけです。

失って初めてその大切さが分るものがありますが、首里城も、私にとってはその一つとなりました。

私たちは様々な災難や苦難に遭遇し、それを乗り越えてきましたが、その乗り越え方は人それぞれなのでしょう。

私はといえば、災難や苦難をただただ受け止め、時間の経過とともに、その出来事を少しずつ自分にとって都合のいいように解釈していくということでしょうか。

プラス思考といえば聞こえはいいですが、諦めの上での開き直りとでも言うことなのかも知れません。

今はただ、沖縄の人達の苦悩がまた深まってしまったことについて、哀惜の念を抱くことしかできません。

Posted by murakami at 18時13分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

2019年10月23日(水)

作文コンクール

 私が所属する団体が、地元の小中学生から、地域の10年後の未来像(なってもらいたい姿)について、作文を募集して表彰するというイベントを開催することになり、応募されてきた作文に私も目を通す機会がありました。

 それらの作文の多くは、小学生も中学生も、心の問題に関心を寄せていることが、印象的でした。

 地域がどうなってもらいたいか、ということについては、地域が清潔で、緑などの環境が整い、住人が明るく親切で、暮らしやすくなってもらいたいとか、お年寄りや経済的に困窮している人が、差別なく、安心して暮らせるようになってもらいたい、ということが書かれていましたが、

そのためには、地域の住人の人たちの意識が変る必要があると述べられていました。

 そして、地域の住人の人たちの意識を変えるためには、地域がそのような姿になることの重要性や必要性を認識してもらう必要性があるけれども、自分達が直接そのような話をしても、聞いてもらえなかったり、関心をもってもらえなかったりするので、

まず、自分達が地域の住人の人たちと明るい挨拶を積極的に交わすことで、地域の住人の人たちが自分達や、自分達の考えに関心をもってもらえるようにして、地域の住人の人たちも自分達と一緒になって、地域の将来の姿や、そのための方策を考えてもらえるようにしたいと書かれており、非常に感心しました。

 自分の意識を変えて、行動に移すこと自体が簡単ではないのに、他人の意識を変えて、行動に移させることは更に大変です。

ですが、子供たちが、夢や希望をもって、そうしたいと述べているのを見て、少しでも子供たちの夢や希望の実現に手を貸したいと思いましたし、

私自身も意識を変えて、地域の美化や困窮者への手助けを少しでもしていかなければならないなと、改めて思いました。

Posted by murakami at 18時11分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

2019年10月16日(水)

運の良し悪し

私は、今から2年前、60歳の時に、舌癌が見つかり、手術を受けましたが、幸い、舌以外のリンパ節等には転移はしておらず、現在まで再発せずに過ごせており、運が良かったと思っています。
 
 ところで、私の父も、58歳の時に、舌癌が見つかり、手術を受けましたが、その時には、既にリンパ節に癌が転移しており、抗がん剤や放射線治療を受けたのですが、良くならず、その後にも癌が色々な臓器に転移し、結局、60歳のときに亡くなりましたが、運が悪かったと言えるかも知れません。
 
 人はよく、因果応報というようなことを言いますが、それでは私が運よく癌が転移する前に手術を受けられたのは、私の日ごろの行いが良く、父が運悪く、癌が転移する前に手術を受けられなかったのは、父の日ごろの行いが悪かったのかと言いますと、振り返ってみても、そのようなことは全くなく、私は結構いい加減に生きてきましたし、父は生真面目に生きてきました。
 
 そのようなことを思い返しますと、私は、運について、今では次のように考えています。

 運というのは、貯めて、使うものであり、貯まった運を使う時に、運が良いといわれ、運が貯められておらず、運が使えなかった時や、運が貯められていても、運を使わなかった時に運が悪いといわれるのではないか、と。

 また、使える運は、自分が貯めるほかにも、親祖先や関係する他の人達にも貯めてもらえるけれども、必ずしも、自分が貯まった運を使えるとは限らず、自分が使わなかった運は、そのまま子孫や関係する他の人達が使える運として持ち越されるのではないか、と。

 そして、私は、父が使わずにとって置いてくれた運を使わせてもらって、癌が転移する前に手術を受けられ、今も生かされているのではないか、と思っています。

 日本は、敗戦後、世界が驚くような奇跡的な復興を遂げたといわれますが、それも戦争で無念のうちに亡くなっていった人達や、さらにそれ以前の祖先の人達が貯めてくれた運を使わせてもらった結果ではないか、と思います。

 もっと根本的には、私たちがこの世に人として生まれ、限りある身の今、ここでこうして生きて、生きている者同士が相見えていること自体が、奇跡的に幸運なことだとすれば、その幸運を引き寄せることができたのは、私たち自身のお陰などではなく、何百年、何千年と連綿と受け継がれてきた、親祖先の人達が積重ねてきた運を使わせてもらった結果だろうと思います。

 だとしたら、私も、例え上手く行かなかったり、失敗したり、報われなかったりすることが続いたとしても、子孫や自分の関係する誰かが使える運を貯める努力を続け、死ぬときには、運を使い果たすのではなく、少しは自分の子孫や関係する誰かが使える運を貯めたままでいられるようにしたいと、思っています。

Posted by murakami at 16時50分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

2014年12月31日(水)

今年はどんな年だった?

今年は、皆さんにとって、どんな年だったでしょうか?

私にとっては、とてもいい年だったと思っています。

思いどおりに行かず、失敗し、振り回され、泣かされたり、何より、不安がらされました。

そんな中で、一年を振り返ってみると、気付かされたことが沢山あります。

中でも、何で不安に思うのだろうということです。

後から振り返ると、不安がらなくてもいいのに、不安がっていることが沢山ありました。

不安がるのは、事態が悪い方へ悪い方へ行くのではないか、と思ってしまうからです。

ですので、事態が好転すれば、その不安は消えるのですが、事態が好転することなどは、そうそうはなく、大抵は不安的中でした。

ただ、不安的中となっても、結果が分かってしまえば、それほど落ち込むことが少なかったのも事実です。

それなら、はじめから、事態がどうなれ、不安がらなければいいだけの話だ、とも思えてしまいます。

ただ、中々そのような心境にはなれません。

ぐずぐず事態が好転しないものかと、考え込み、必死に念じ、神頼みさえしてしまっています。

本来は、不安に思うのも、主観的な事態の捉え方ですので、事態の捉え方を変えれば、不安を消すことはできる筈です。

ですが、人には欲があり、この事態は絶対にこうなって欲しいという願望があります。

その願望がある以上は、不安も尽きないのかもしれません。

ただ、そのような願望の先にある、夢や希望の実現のためには、多くの挫折や失敗を経験しなければならないとすると、むしろ必要なのは、事態がどんない悪い方に行ったとしても、それを率直に受入れた上で、立直り、挑戦し続けることなのだろうな、と思います。

そして、信じるものは、挫折や失敗を繰返しても、最後には、夢や希望が叶う、ということなのだろうと思います。

人は弱いもので、つい弱気になり、不安に襲われ、立ちすくみ、諦めたがります。

ですが、弱いからこそ、人の温かみには大いに慰められます。

不安がる自分を受け入れ、弱気になっても、また立ち上がって、夢や希望へ向かって進む勇気を育みたいと思っています。

多くの方たちに助けられ、慰められて、何とか今年一年を過ごして来れましたことに感謝して、皆様が良いお年をお迎えくださるよう、心から祈念申し上げます。

Posted by murakami at 15時43分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

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